エルサレム


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神の山、ホレブ

エルサレムには、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3大宗教の聖地があり、昔から、さまざまな聖書の物語の舞台となったり、紛争の原因になってきました。ユダヤの歴史は、約4000年くらい前に、族長のアブラハム、その子のイサク、その子のヤコブによって始まり、旧約聖書にアブラハムが唯一の神に出会ったことについて書かれています。旧約聖書によると、神はアブラハムに、その子孫を星の数ほど多く、約束の地に増やすことを約束されました。その後、ヤコブの時代に、国に飢饉が起こったとき、ヤコブ(イスラエル)と、その一族はエジプトに下ってゆくことになりましたが、エジプトで、奴隷の身となり400年間、苦しみの生活をおくり、ついに、モーセが出現し、エジプトのパロの前にさまざまな不思議な出来事を見させ、イスラエルをエジプトから開放しました。そして、モーセは、イスラエルを神の山、ホレブに導き、十戒を受けさせましたが、そののち、イスラエル民族は40年にわたり、荒野をさまようことになりました。しかし、モーセの死後、ついに、約束の地に入りました。


  この後、イスラエルは、ダビデ王、ソロモン王の治世に、全盛時代を迎え、ダビデ王は、エルサレムを首都に定め、イスラエルの12部族を1つの王国に統一し、また、その子である、ソロモン王はその治世に、壮大な神殿の建設を成し遂げました。その後、イスラエルはイスラエル王国とユダ王国に分裂して、イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされてしまいました。ついで、紀元前586年、ユダ王国も、新バビロニアのネブカドネザルにより、その首都だったエルサレムの神殿を破壊され、ユダヤ人は、バビロン捕囚とされました。しかし、ユダ王国の滅亡の約50年後、ペルシャの王、クロスはユダヤ人の開放を宣言してエルサレムへの帰還を許し、神殿を再興するように命令を出しました。エルサレムは、この後、紀元前、538年〜142年まで、ペルシャやギリシャによる占領下におかれました。 。 card116.jpeg(394144 バイト)

現在のエルサレム



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イエス・キリスト

紀元前、142年〜63年には、ユダヤのハスモン家により、政治と宗教の自治が回復されましたが、紀元前63年〜紀元313年には、ローマが、この地を支配し、紀元前37年、ヘロデがローマによりユダヤの王に任命され、ヘロデの世にイエス・キリストが誕生しました。   イエスは、ベツレヘムに誕生し、30才の時から、3年にわたり、きたるべき神の国について述べ伝え、病気の人々や貧しい人々を癒し、助けながら、ユダヤの地を巡回しました。エルサレムにおいて、人の罪の贖いとして、自ら、十字架につけられることに甘んじ、ゴルゴダの丘で、十字架にかかって、処刑されました。こののち、新約聖書には、弟子たちの、復活したキリストとの出会いが伝えられ、キリストの精神に満たされた弟子たちの活躍による、使徒行伝の時代が始まりました。弟子たちは、キリスト教を、エルサレムからローマまで伝え、キリスト教は、中世のヨーロッパの精神文化の土台となりました。こんにち、ローマのバチカンには、キリスト教をローマまで伝えた、ペテロやパウロの像が建っています。また、エルサレムには、こんにちでも、ヴィア・ドロロサ(悲しみの道)のような、イエスが十字架を背負いながら歩いた道などの、イエスと弟子達の時代の出来事があった、数多くの場所が、聖地として、保存されています。 また、ヘロデは、この時代に神殿の大補修を行いましたが、紀元70年、エルサレムとその神殿は、ティトスの指揮したローマ軍に、完全に破壊されてしまいました。エルサレムの西壁(嘆きの壁)は、これらの時代の神殿の城壁の一部で、現在、ユダヤ人が、祈りを捧げる聖なる場所となっています。 こののち、エルサレムは、ローマのコンスタンチヌス帝が、キリスト教に改宗したことや、ビザンチン帝国が樹立されたことなどにより、キリスト教徒の支配下に置かれました。


しかし、紀元610年頃、イスラム教がサウジアラビアに起こり、アラブ人が勢力をもち始め、教祖、マホメッドの死後、アラブ人は、エルサレムを征服し、1099年まで支配しました。紀元638年、第2代カリフの、オマルは、エルサレムに入城しました。また、691年には、ウマイヤ朝カリフ、アブド・アルマリクは、エルサレムに岩のドームを建てました。このドームの内部の中央には巨大な石が置かれており、預言者モハメッドが、この場所から昇天したとの伝説があります。また、ユダヤ教の開祖、アブラハムが、神の啓示により、そのひとり子の、イサクを捧げるようにと、その信仰を試みられた場所ともいわれます。  しかし、紀元1099年〜1291年頃になると、ヨーロッパ各地から十字軍が聖地を異教徒から奪回するために、エルサレムに押しよせてきました。1099年7月、第一次十字軍は、エルサレムを包囲して攻撃し、ラテン王国を建て、そこに住んでいた非キリスト教徒をほとんど殺してしまいました。しかし1187年、クルド人のサラディンは十字軍を破り、ユダヤ人にも、エルサレムに定住する権利などを与えましたが、サラディンの死後イスラエルは十字軍に奪回されました。 その後、1291年〜1516年までは、エルサレムは回教徒のマムルークに支配され、そののち、1517年〜1917年までは、オスマントルコに支配されました saladin.jpg

サラディン




パレスチナ問題


紀元後まもなく、ユダヤ人はローマ軍により、祖国を攻撃され、パレスチナから追われ、離散の民となり、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカ大陸などに、広がってゆきました。ユダヤ人たちは、移住先において、その文化的、宗教的背景の相違から、迫害をたびたび、体験しましたが、流浪の先でも、アブラハムが、神と契約で与えられた、「乳と蜜の流れでる約束の地」を忘れることはありませんでした。長い世紀が過ぎ、19世紀になると、ユダヤ人の間に、ユダヤ人はふたたびパレスチナの地に戻って、自分たちの国を建設しようという、シオニズム運動がおこりました。1917年、イギリスの外相バルフォアは、シオニズム運動に対するイギリス政府の支持を、バルフォア宣言により、イギリスのユダヤ系住民の指導者、ロスチャイルド卿に、文書通達しました。  パレスチナは、4世紀のあいだ、オスマン帝国の支配下にありましたが、第1次世界大戦後、イギリスの委任統治領となり、多数のユダヤ人が移住するようになりました。ここに、長い間パレスチナで生活してきたアラブ人と、ユダヤの移住民との間で、摩擦がおき、パレスチナ問題として発展しました。  イギリスは、第1次世界大戦中、トルコと戦うために、ユダヤ人の助けを必要とし、1917年、バルフォア宣言を行い、ユダヤ人が、パレスチナの地に、自分たちの国を建設できることを約束し、これに基づいて、ユダヤ人のパレスチナ移住が、始まりました。 しかし、イギリスは、同時に、トルコとの戦いを、有利にするために、トルコ領内のアラブ人の助けももとめ、1915年に、アラブの指導者、フセインとの間に、フセイン・マクマホン協定を結び、アラブ人がトルコから独立して、パレスチナなどの西アジアに、パレスチナ国家を建国することを、承認する二重の約束をしました。  第1次世界大戦で、トルコが破れると、パレスチナは、イギリスの委任統治となり、ユダヤ人とパレスチナ人のあいだに、暴動やテロが続発しました。  1937年、イギリスは、パレスチナを、ユダヤ人とアラブ人の国に分割する提案を、行いましたが、アラブ側は拒否しました。しかし、第2次世界大戦中に、ナチス・ドイツによるユダヤ人の迫害が強くなり、多くのユダヤ人が、パレスチナに移り住みました。そして、ナチス・ドイツの残忍なユダヤ民族の抹殺計画により、数百万のユダヤ人が、ホロコーストされたため、ユダヤ国家の必要性が、強く世界中にアピールされました。

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初代首相ベン・グリオンの家

 1945年、世界シオニスト会議が開かれ、難民を主とした、ユダヤ人100万人の国家建設の要求が出され、1947年、国際連合は、パレスチナの地に、ユダヤ人の独立国家とアラブ人のアラブ国家をつくる分割案を可決しました。これにより、イギリスの委任統治の切れた翌年の、1948年5月14日、長い間、シオニズム運動の中心的指導者であった、ダビッド・ベングリオンは、イスラエルの建国を宣言し、シオニズム運動の指導者、ハイム・ワイツマン(1874〜1952年)は、初代大統領に就任しました。 これに対して、アラブ諸国は、反対行動を起こし、パレスチナに侵入したため、第1次中東戦争が勃発しました。 1949年、休戦条約が結ばれましたが、アラブ諸国は、イスラエルそのものの存在を認めず、1956年、第2次中東戦争(スエズ戦争)が起こりました。その後、1967年に、第3次中東戦争(6日間戦争)がおこり、この時、イスラエルは、それまでのシリアのゴラン高原や、シナイ半島の占領地の他、ヨルダン川西岸とガザ地区も占領しました。また、1973年に、第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)がおきました。   こののち、1976年、国連総会において、イスラエルやアメリカ、イギリスの反対が押し切られ、パレスチナ国家建設案が決議されました。


 イスラエルでは、1967年の6日間戦争で、イスラエルが、ヨルダン川西岸とガザ地区を占領したため、1987年以降、これらの地区でパレスチナ人の、激しい抵抗活動やテロが続きました。これらの抵抗活動の結果、1993年、パレスチナは、イスラエル国家を、独立国として認めるかわりに、イスラエル占領地の暫定自治を、イスラエルに認めさせました。しかし、現在にいたっても、市内における爆弾テロなど、反イスラエルの抵抗活動は止んでいません。  イスラエルでは、各地への入植が盛んだったころ、ユダヤ人の集団農場である、キブツの設立が奨励されました。キブツは、人々が一緒に住んで働く共同体で、そうすることによって、敵からも身を守ることができる共同体でもありました。 p209.jpg(53385 byte)

閉鎖されている神殿の丘への通路





地球市民教育
地球を学ぼうアースキッズ「地球温暖化2008ー2009」

-生命と平和の星・地球-

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地球市民教育はグローバルな観点から平和や環境、文化、人類のあり方を考える教育です。 地球の生命の歴史やCO2の循環、生命の循環、地球温暖化の理解から正しい生態系と環境に関する知識の欠如がもたらす問題点を指摘し、生態系の平和を考えさせます。  さらに人類の歴史や平和に関する理解を通して人間どうし  の平和を考えさせます。<リリース:6月15日>







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