マキシミリアノ・ライモンド・コルベ


 
     

   マキシミリアノ・ライモンド・コルベは、第2次世界大戦中、アウシュビッツの収容所にあって、人間性の尊厳が失われてゆく環境のなかで、本来、人間がもつべき愛の形をはっきりと示し、目に見えるように、表現した人でした。アウシュビッツ収容所では、他者に対する思いやり、いたわりなど、人間の通常の感性がほとんど喪失しおり、人間に外側からも内側からも破壊をもたらす場所でした。   ライモンド・コルベはカトリックの神父で、日本にも、かつて、宣教のために来日しています。ポーランドにおいて反ナチスとして捕らえられ1941年5月28日にアウシビッツに送られました。  
   アウシビッツにおいて毎日の強制労働と残酷で非道な扱いがなされていたある日、コルベの属していた第14号の棟舎から、1人の囚人が監視の目をくぐって脱走するという事件が起こりました。当時の収容所での慣習では、もし、その棟舎から1人の脱走があった場合、同じ棟舎から10人が地下の一室で餓死刑に処せられるというものでした。これに従い、第14号の棟舎の囚人は、広場に残され拷問された後、餓死刑に処するため、10人が選び出されました。
    その時、1人の囚人が、残される自分の子供と妻の為に、すすり泣きました。彼等が餓死刑場に引かれていこうとした時、コルベは自ら進んで、所長に近づいて行き、自分がその人の身代わりになりたいと、申し出をしました。  コルベは身代わりとなり、餓死刑を受ける他の仲間と地下室に閉じこめられました。一人、また、一人と死んでゆくなか、コルベはカトリックの司祭として、これらの人々の魂を看取り、彼等の霊魂が天国へゆくよう、精神的に導きました。この餓死刑場は、神への祈りと賛美により、清らかな教会のような雰囲気をもった場所へと変えられてゆきました。この牢の近くの他の囚人たちも、この祈りと賛美に合流して、この場所は地上にはありえないような、神聖な場所へときよめられてゆきました。コルベは最後まで生きのび、嘆き声を、一言も漏らさず、終始、穏やかな目で監視兵と接していたということです。
   餓死刑3週間目の8月14日に、コルベを含め4人が生き残っていましたが、死刑執行の都合から、死を早める注射がうたれました。コルベの最後を見た人の話では、その顔は、目をあけ、穏やかで美しく輝いた顔であったということです。
    ホロコーストは、私たちの身の回りにも、たくさん存在しています。ホロコーストは、愛のないところに起こります。日本にも、広島に、ホロコースト記念館があります。是非、尋ねてみて下さい。ライモンド・コルベの本を読んだ人は、お頼りを下さい。できれば、感想を聞かせて下さい。
グローイングアップ日記執筆者育成委員会

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